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自分について語ってみたよ


〜特別企画〜  金原亭馬遊の心に迫る

第1回 落語との出会い 小学生時代〜大学落研編

第1話


このたび、馬遊ホームページ制作委員会により緊急特別企画「金原亭馬遊の心に迫る」を企画させていただきました。
馬遊師匠にこれまでの人生を回顧していただき、また現状の心境を通して落語への思いを語っていただきます。
第1回の今回は、「落語との出会い 小学生時代〜大学落研編」です。
ではさっそく馬遊師匠にご登場いただくことにいたしましょう。

馬遊ホームページ制作委員(以下:制作委員):
  本日はお忙しいところ、「金原亭馬遊の心に迫る」のインタビューにお時間をとっていただき
ありがとうございます。

馬遊師匠: いやいや、こちらこそよろしくお願いします。

制作委員: それでは、さっそくですが、まず馬遊師匠の子ども時代について振り返っていただきたいと思います。
小さい頃はどんなお子さんでしたか?

馬遊師匠: これは、今でも変わってないですが、とにかく人見知りする子でした。
恥ずかしがり屋で、目立つことはしない、そういう子どもでしたね。

実例を挙げて言うと、教室で先生が「この問題分かるひと手を挙げて!」と言った時、
答えが分かっているのに、手を挙げることのできない子どもでした。

手を挙げて、先生から指されるのが嫌なんです。
自分が指されると、答えなきゃいけないわけですよね、
そして、答えるとなると、みんなの注目を集めてしまいます。
そういう風に質問に答えるという瞬間だけでも注目を集めてしまうというのが嫌でした。

制作委員: それには何かきっかけがあったのですか?

馬遊師匠: 気がついたらそういう性格でしたね。
クラスの中で、面白いことをやっている、そんなお調子者であるクラスメートが
とてもうらやましかったですね。
「俺もああいう風になりたいな・・・」と思っていました。

制作委員: その当時キャラクターを想像すると、その後、若き日の馬遊少年が落語に興味を持って
落語家にまでなるというのは、ちょっと不思議な感じがしますね。

馬遊師匠: そうですね。
でも、実際には当時も人前で何かを演じたり、表現をしたいというのは
常に心の中にはあったんです。
でも、それができないので、クラスの中でも「暗いヤツ」みたいな
イメージで青春時代を過ごしました。

他にも例をあげると、小・中・高校時代ずっとすごい早起きで、
教室に一番最初に教室に入っている人間でしたね。

制作委員: それはどういうことですか?

馬遊師匠: 学校に遅刻ギリギリで行くと、教室に入った瞬間、クラスの人が自分の方を見るわけじゃないですか。
つまり「先生かな、誰かな」って見るわけですよね。
そのクラスのみんなの目が自分に向く瞬間が嫌だったんですよ。
それを避けるために、常に一番最初に登校して教室に入っていましたね。

私が教室に先に入っていて、みんなを出迎えるという訳じゃないですけど、
その後教室に入ってくるクラスメートがいると、こちらから「おはよう」って言って、
向こうから「おはよう」って返されて・・・
毎日その繰り返しでした。

1対1の中で「おはよう」「おはよう」というやり取りくらいはできたんですけどね。


制作委員: 先ほどは、「クラスの中で、面白いことをやっている人がうらやましい」とおっしゃっておりましたが、
心の中で思っていることと、現実のご自身のキャラクターとではかなりのギャップがあったんですね。

馬遊師匠: そうですね。
でもちょっとした思い出があって・・・小学生の時に、必ず学芸会とかありますよね。
私の小学校でもあったんですが、そこでたまたま、きっかけがくじ引きだったか
じゃんけんだったかよく覚えていなんですが、主役になっちゃったことがあったんですよ。
これは自分の性格とかではなく、演じなければなりませんよね。

だから「主役は主役でやらなくちゃいけない」と思いながら、がんばって演じたんですよ。
そうしたら、普段の性格と主役を演じるということは随分違うんですが、
人前で演じるということの快感というのを感じて、
「あっ、こういうのもいいもんだな」と思いました。

だから、

「俺はこんな地味な性格だけれども、いざ役を与えてもらったりとか、
いざそういう場で、こういうことをしてくれと人から頼まれたり、あるいは
自分がそうしようと思ったときには、自分という人間にオブラートをかけて
演じことができる人間だな」

ということは思ったんですね。

その劇で主役を演じたのが、小学校高学年のころだったから、
その後中学・高校と7、8年間はそういうことをずっと思っていましたね。

制作委員: そのときの劇が何だったか覚えおりますか?

馬遊師匠: はっきりとは覚えていないですね。
確か、その時の小学校の先生がシェークスピアとかが好きで、
それを小学生にも分かるように書き直したような劇だったと思うけど・・・

いずれにしても、劇なので、いろんな出演者がいてみんなにセリフがありましたが、
やはり自分が主役で一番セリフも多かったですね。
でも、私はすぐにセリフ全部暗記して、先生にすごくほめられたのを覚えていますね。
「あっ、おれこういうことに向いてるんだな」と思いましたね。

制作委員: それでは、馬遊師匠が、おっしゃられたような性格を乗り越えて
噺家への道へ進もうと思われたきっかけというと何だったのでしょうか?

馬遊師匠: まず高校に入ったときに、自分のこういう性格を直そうというか、
社交的・明るい人間になりたいと思ったんですが、
なかなかうまくいきませんでした。すぐにはお調子者にはなれませんし。

でもなんか「おれはここにいるんだぞ」という存在感みたいなものを、
クラスの仲間や友達に示しておきたくて、柔道部に入ったんですよ。

それで、高校時代は「勉強と柔道だけ」という生活を送りました。
柔道はつらくて大変だったけど、やってよかったですよ。
ある程度自信にもなったし、黒帯(初段)にもなりましたし。

今でも高校のときに同級生に会うとこう言われます。
「お前は勉強か柔道しかやってたイメージがない、
落語家になっているなんて信じられないって」って。

高校時代は、その柔道と勉強を普通にがんばっていました。
また、勉強については、ある程度普通にやっていれば、
北海道の中にある私立大学には入れましたからね。

制作委員: それでは落語というものにはっきり興味をもたれたのはいつ頃でしたか?

馬遊師匠: 大学に入学してからですね。
大学の落研に入ってからです。

実は、大学に入った時は演劇のサークルに入りたかったんですよ。

大学に入ると新入生ガイダンスというのがある訳ですよね。
私の大学でもそのガイダンスがあったのですが、大学の授業に関するガイダンスの後に、
サークル紹介のガイダンスがありました。

体育会系、文化系のサークルがありましたが、体育会系のサークルは高校時代に
3年間柔道に打ち込んだので、もういいやと思い、演劇部に入りたいと思っていたんでよね。

ちょっと話は逸れますが、大学に入学する前、
「高校までの、つまり18歳まで過ごした田舎から、360度見渡して、
自分のことを誰も知らないという環境に身を置きたい」
と思いがありました。

根室という小さい町から札幌という人口200万の大都市に行って、俺のことを誰も
知らない中でそこから生まれ変わるぞ、第一印象で「俺はこういう奴なんだ」という
ふうに、今までと違った人間として見なしてほしかったんですね。

そのような理由で演劇部に入りたかのですが、今から22、23年前の演劇というと
第三舞台だとか、夢の遊眠舎、一世風靡セピアとか、
つかこうへいんさんの劇団とか、パフォーマンスでお客さんを驚かせるとか、
つまり小劇団ブームの走りみたいなだった時期だったんですよ。
そして、私の出身大学の劇団もパフォーマンスがすごかったんですよ。

ガイダンスの中のサークルの紹介で、

「次は聖書研究会です・・・」
「次は映画研究会です・・」

と紹介されていきます。

そして、
「次は演劇部、『劇団ダイナマイト』です・・・」
とその劇団が紹介されたわけです。

そして、そのパフォーマンスで経済学部の学生500人、そのすべてが度肝を
抜かれたんですね。それくらいおもしろいし、パフォーマンスがすごかったんです。
そのとき、僕の隣に座っていた冷めた学生の「よくこいつら素面でこんなことできるな」って
いう表情を覚えていますね。

でも、私がそれを見たとき、「あれ、ついていけない」と思ったんですよ。

僕の感じてた劇団のイメージと全然かけはなれていて、
「あー、おれは夢をあきらめなくちゃいけないのかなあ・・」と思いましたね。
劇団のサークルに入りたかったのですが。
そこで迷いが生じました。

そして、その劇団のサークル紹介が終わった後に、
自動車研究会だとか、茶道部だとか、英会話研究会だとか、
いろいろなサークルの紹介が続きましして、

「次は落語研究会です・・」
と落研の紹介が始まったんです。
 (第2話へ続く)

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