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〜特別企画〜  金原亭馬遊の心に迫る

第1回 落語との出会い 小学生時代〜大学落研編 第3話


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制作委員: さて、落語との出会いの後、当然落語を覚え始めることになったと思います。
最初に覚えたネタは何でしたか?

馬遊師匠: 落研に入った後、一番最初にやる発表会、新人だけの発表会があるわけですよ。

でも、そこでは自分で好きな落語は選べないんですね。
だって全然落語のことわかりませんから。

落研の先輩が、「こいつにはこういう噺が合うな」と思った噺を
テープで渡すわけですよ。

それこそ今プロになった立場から言えば、本人の許可なく
そっくりに演じてしまうのは失礼な話なんですが、 落研の大学生が自分そっくりに演じたからといって
目くじらを立てる落語家さんもいませんし、 逆に、今自分の立場からすれば、自分の落語を面白いと思って
演じてもらえるのはプロとしてはうれしい話ですからね。

私が、先輩から渡されて初めて覚えた落語は、
今でも大活躍されているとある師匠(文生師匠すみません、もう時効ですよね)の「権助魚」というネタでした。
先輩はそれが私に合うと思ったわけですね。

制作委員: 馬遊師匠ご自身で、その「権助魚」が自分に合うと思われましたか?

馬遊師匠: 自分に合うなというよりも、渡されたテープを覚えるの必至なだけでした。
ただ、気になるのは他の新人にどんな噺が与えられているかなんですよね。
もう同期のメンバーの話が面白いように感じる訳ですよ。

他のメンバーには、「子ほめ」「転失気」「牛ほめ」「饅頭怖い」といった噺が
与えられているわけです。
プロになっても前座さんがやるような噺、基本中の基本の噺だから
面白くないわけがないわけないんですよ。

その中で、私は「権助魚」というなんか不思議な・・というか・・
この噺は落語家さんになっても、前座さんが開口一番で
話す噺ではないんですよね。
その後の二ツ目になってからできる噺なわけなんです。

今思ったけど、先輩は僕のことを見込んでいたのかなあ・・
今思っただけなんだけど。はははっ、そんな訳ないって!!

制作委員: 一人だけ難しい噺を与えられていたわけですね。

馬遊師匠: いや、本当に今思っただけ(笑

制作委員: その先輩の方と次回お会いした際には、そのような考えで「権助魚」を選んだのか、
ぜひお聞きしてみてください。

馬遊師匠: たぶん聞いても、「そんなこと考えてなかったよ」って言われるんじゃないかな(笑

新人発表会が終わると、その後は好きな噺を選べるようになりました。
ただ、2年生になるまで、つまり1年生のうちは、先輩に
「この噺をやりたいんですけどいいですか」って
お伺いを立てなきゃいけないんですよ。
それで「いいよ」と言われたら、その話をすることができるんですよね。

そりゃあ、1年生最初に「子ほめ」や「饅頭怖い」「転失気」をやった後
おもしろいなと思ったからって「居残り左平次」をやるわけには
いきませんから。なので、一応先輩にお伺いをたてなければならないんですよね。

制作委員: それでは、2年生になって自分でネタを選べるようになった後、まず覚えたネタはなんでしたか?

馬遊師匠: 「厩火事」でした。
実はプロになってやってない、持ってないんですけどね。

制作委員: では、実際に落語家になろうと思ったのいつごろでしたか?

馬遊師匠: 私が落語家になろうと思ったのは、大学3年生のときです。

話はちょっとさかのぼるんですけど、別に私は落語家になろうと思って
大学に行ったわけじゃないんで、入学するまでは演劇をやりたいと思っていたわけで。

でも、落語はあくまでもサークルであって、本業はやっぱり勉強なわけですよ。
将来「こういう職業に就きたい」と思って大学に行くわけですから。

僕の場合は、高校の先生になりたかった訳ですよ。
高校の先生になろうと思って、大学に入ったんです。
社会科と商業科の先生になろうと勉強してましたから。
一応通っていた高校は商業高校ではなかったんですけど、
その中に商業科という科がありましてね。

僕はこういう風に見えて、一応珠算2級と簿記1級もってますからね。
珠算2級はたいしたことないかな(笑

3年生になったとき、教職課程を履修しようと思いましたからね。
でも、実行できませんでした。

制作委員: 落語家になろう決意されたときのことをもう少し詳しく伺えますか?

馬遊師匠: 3年生のときのことですね。
当時私は落研の部長になって、それなりの責任も部員の中で任されていて、
それなりの落語もしなければならないという思いがありました。まあそれも素人のレベルですけど。

そうなったときに、今思うのといいのか悪いのかわかりませんが、
その大学3年生のとき、これはその当時思ったんですよ、
ほんとに俺、ほれぼれするようないい落語が発表会でできた訳なんですよ。
俺、落語家になったほうがいいなって思えるような噺が・・

制作委員: 今思い出されても、いい落語が出来ていたなと思われますか?

馬遊師匠: そりゃあ、素人のレベルですけど、気持ちの高まりというか、
落語をやって自分でこれだけ納得できる、
聴いてる人もいいって言ってくれる、
ああ、俺はこのまま、、、って。

制作委員: ちょっと意地の悪い質問をさせていただきます。
今の馬遊師匠が、当時の落研の部長をされている当時のご自身に
何か言葉をかけることができるとしたら何とおっしゃいますか?

馬遊師匠: 当時の俺に言ってやりたい一言、
「調子に乗んな、その気になんな!」

はっはっはっは〜
もう私も真打ちになっちゃったから言えるんですけど(笑

でも、大学4年のころは、ずいぶん就職課の職員の人から電話かかってきましたよ。
その当時、ちょうどバブルの真っ最中だっただわけですよ。
就職できない奴なんか1人もいない訳ですね。
で、しかも、私は大学の中でも落語研究会の部長をやっていて
一応学生課の職員の人とかみんな私のこと知っている訳ですよ。

経済学部の4年の高満(本名)はぜんぜん就職課に顔出さないけど
何やってんだって。

バブルで就職先あるし で、まあ、成績も悪くはなかったから・・・

落研で学校の内外で活動もやっているし、就職課の人も
いいとこの就職を紹介するつもりだったらしいんですよ。

おまえなにやってんだって、現実見なさい、夢見てるんじゃないって
言われました。

ここはちょっと自慢になっちゃうかもしれないけど
テレビ局でも、新聞社でも北海道の中にある企業を推薦してあげるよって
言われたんですよね・・・

まあ、今でもちょっとは思いますよ。教職過程を最後までいって、
教職免許をとっていたら、どうだったかなあって。
後悔はしていないけど、ちょっと思うことはありますね、正直。

あとは、落語家になるきっかけということに絡んでくるんですけど。

私が落語家になるときっかけとなった噺が5つあります。
この噺が落語家になれなれって押してくれたっていう噺がですね。

円生師匠「らくだ」
小三治師匠「子別れ」
談志師匠「鼠穴」
志ん朝師匠「お直し」&「柳田格之進」
この5つです。
この5つが私を落語家にさせてくれたっていうか・・

もちろんテープで聴いたんだけど。
志ん朝師匠の「柳田格之進」、これは「芸術」だと思いました、「芸術!」
私もやるんだけど、やるたびやるたび打ちのめされるんだけど!
いつかはいつかは、絶対、「師匠の柳田格之進はすばらしい」と
思ってもらえるようになりたいです。

談志師匠の「ねずみ穴」、衝撃だったです。
それこそ、私が大学3年でやった大学祭でやった噺なんですけど。
それで自分で陶酔しちゃったね(笑

小三治師匠の「子別れ」もそう、大学3年でやりました。

そういう噺に出会っちゃったんですよ。
自分でいいなと思ってやると、聴いてる人も
いいって言ってくれるし、自分でも自己陶酔するくらいできちゃったし、、、

制作委員: 伯楽師匠のお名前が出てきておりませんが・・・

馬遊師匠: もちろん伯楽の噺のすべてが素晴らしいと思っていましたよ。
でも今改めて自分の師匠をそう言うのもね・・・(笑

まあ、そんな風に、大学3年生の頃、いい落語に出会い、
素人レベルではあんだけれども、自分としてはいい落語ができていたと
思っていたんですね。

ただ、素人レベルでちょっといい落語ができるってくらいでは、
自分は噺家にはならなかったと思います。

やっぱり大きな理由としては、バブル真っ最中の当時、就職しようと
思えばいくらでも就職でんだけれども、
何か、見返してやりたいというような反骨精神みたいな考え方があったんですね。

噺家になった人間が言うのもなんだけど...
自分の中で、噺家になるのはすごいこと、
ちょっとしたえらい決断だという考えがありました。

そして、また噺家になった動機の1つに、
大学3年生の頃、同じ落研の同級生の女の子に振られちゃったことが・・・
少しヤケになっていたのかな・・。
まっ、あくまでも動機の1つだけどね(笑 
今じゃいい思い出だよ。その娘とも時々あって飲むこともあるしね。

残りの理由としては、親から仕送りももらわず、アルバイトと奨学金で
大学に通っていたので、周りで車を乗り回したりしているチャラチャラした
お坊ちゃんの学生と、同じような人生の選択や就職がとても嫌だったというのも
ありましたね。

まあいま改めて思うと若さにまかせてトンガッテいたのかな・・・

そんな風に落語家への道をすすんでいきました。

制作委員: ありがとうございました。
それでは、また次回の「入門〜前座編」(予定)の際、よろしくお願いいたします。

(第1回 落語との出会い 小学生時代〜大学落研編 終わり)

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